これまでの人生を振り返ってみて・・・その①

まずは簡単に自己紹介。

現在四十代前半。独身。バツイチ。

最終学歴は中卒。真面目な学生ではありませんでした。

現在は地方都市で飲食店を法人で二店舗経営。年商5000万円。

コロナショックの影響をまともに受けて不安と危機感で精神的に厳しい状況。

最近、自身を振り返って考える機会が増えたので備忘録的な感じでブログに書き綴ります。

幼少期

物心がついた時の思い出、というか記憶。

4歳くらいだと思う。

家族構成は父親と母親と私の三人家族。

昼は幼稚園。夜は扇風機をまわしながら父親が瓶ビールで晩酌をしながらプロ野球を観戦していた。

4歳の私は当然、野球のルールや面白さも分からないけど父親の隣に座って一緒に観ていた。

父親は野球が好きだったようで、野球中継の間は子供だった私の相手をしてくれることは少なかったように思う。

だからなのか父親のグラスのビールがなくなると子供ながらに瓶ビールを両手で持ち酌をよくしていた。

その時の父親の笑顔が好きだったので今でも忘れられない。

父親との思い出といえば休みの日に近所の山に出かけて山登りをしたことや、一度だけ近所の公園でキャッチボールをしたことくらい。

母親は夜に家に居なかったので今にして思えば夜の仕事に出ていたのだと思う。

小学校に入学して間もない頃、母親が父親と別れ引越しをすることになった。

当時の私は6歳なので引越して小学校を転校すると聞いても「へ〜」みたいな感じだった。

むしろ新しいことが始まると思いワクワクしていたように思う。

最後の登校日にクラスのみんながお別れ会をしてくれた時に、もう友達のみんなとは会えないことや遊んだりすることが出来ないことが、とても悲しくて寂しくて思いっきり泣いた。

この時に初めて人との別れを経験し、悲しみというものを学んだように思う。

父親との別れの日、父親はくしゃくしゃな笑顔で「またな!」と言って私の頭を優しく撫でてくれた。

子供心に「またな」という言葉を間に受けていたのか、寂しいとか悲しいというような感情はこの時にはなかった。

ただ、この時の父親は私の本当の父親ではなかった。

それを知ったのは私が結婚した二十歳の時に入籍する際、戸籍謄本にこの父親の名前があるはずの箇所に見たこともない名前が記載されていた。

母親に確認すると、私の本当の父親は戸籍謄本に載っている人だと聞き、とても驚いた。

母親はこの件について私に申し訳がなかったのか多くを語りたがらなかった為、私も深く掘り下げて聞くことはしなかったが、母親は私にこう語りかけてきた。

  • 私の本当の父親と結婚しなかった理由は他に母親の他に婚約者がいたから。
  • 母親は婚約者がいることは知らなかった為、とても傷ついたようだ。
  • 私の妊娠が分かった時、父親は私を産むことを反対していたらしい。
  • 母親は別れを決意し一人で育てる覚悟を持って産んだと言っていた。

今でこそシングルマザーも増えてきて珍しくなくなってはきているが当時ではかなり少ない時代だったので世間体とか金銭的な部分に相当な覚悟を持って産んでくれたのだと思う。この点は本当に感謝している。

私はこの話を母親から聞いた時、遠い過去を思い返す母親の瞳の奥に見える悲しそうな表情を見て胸が締め付けられるような気持ちになった。

そして、自分が父親だと思っていた人が父親ではなく赤の他人だったことと、本当の父親に抱かれることもなく、また、その事実をこの歳になるまで知らずにいたことがとてもやるせなく思えたことを今でも覚えている。

初めての転校

転入先の学校に初めて行く日。

新しい体操服と新しい制服。

新しい友達が出来ると思いワクワク・ドキドキしながら登校した。

先生と一緒に教室に入り教壇の前で初めての自己紹介。

とても緊張した。そして恥ずかしかった。

教室に40人くらい居る子供たちは珍しいものや好奇なものを見るような目で私を見つめてくる。

生きた心地がしなかった。

一時間目の授業が終わり休み時間になると、みんなが私の机に寄ってきて質問責め。

とても注目されていることに嬉しくなり楽しくなっていた。

その日の一日が終わる頃には何人かと仲良くなり友達もできた。

学校の授業が終わると放課後は学童保育に行き、そして家に帰る。

二年生か三年生くらいの頃から母親に家の鍵を渡され、いわゆる「鍵っ子」になった。

それからは学校の授業が終わると学童保育に行かずに自宅に帰るようになる。

自宅に帰っても母親は居ない。誰も居ない家に帰るので当然「おかえり」の言葉はない。

自分の人生において家に帰ると「おかえり」という言葉を聞く機会というのはほとんどなかったように思う。

私が小学校に入学する前後から母親は喫茶店を経営していたので朝早くから夜遅くまで仕事に明け暮れていた。

家に帰ってくるのは大体20時頃。

私が学校から帰ってくるのが16時〜17時。

そこから母親が帰ってくる20時頃まで一人でお留守番。

今更ながら小学二〜三年生でよくこんなことしてたな〜。

母親が20時頃に帰ってきて晩ご飯を作ってくれて一緒に食事を摂る頃には21時とか当たり前のことだった。

幼い私はそんな時間になると当然眠たくて食事中によく眠ってしまうことがあり、よく母親に叱られていた。

母親も仕事のストレスや疲れもあり精神的に余裕がなかったのだろう。

この頃の母親は日曜日も当然、仕事だったのでいつも家に居なかった。

だから母親と一緒に遊んだり旅行に出掛けた思い出なんてものは一つもなく、母親と一緒に写っている写真すらない。

この頃の私は母親の愛情をとても欲していた。

それはなぜか?

学校が終わると当時、仲良くしていた友達の家によく遊びに行っていた。

その家のお母さんは本当に子供たちを愛していて、私のことまで気にかけてくれてとても優しく接してくれた。

そんな友達のお母さんの優しさや親子の関係性に当時の私はとても羨ましく思えた。

だからこそ母親に「こうしてほしい」とか言おうかと何度も思ったことがあったが結局は言えずじまいで言えなかった。

それは母親を苦しめる行為になるのではと思ったから。

今になれば言っておけば良かったのかもとも思うが、当時の私にはそこまで考えが及ばなかったのが正直なところ。

それまでは、寂しいとか思いもしなかった。

自分の家が普通だと思っていたから。

友達のみんなの家も自分と同じだと思っていた。

そんな訳ないのに。

でも、まだ子供だったから。

そんなことは知らないんだよね。

少しずつ広がる世界。そして見えてくる世界。

他所の家を見て色々見えてきてわかって来たこと。

そして自分の家と比べて違いを知る。

だからこそ、この頃は本当に寂しい想いをしていた。

あまりに寂しくて他所の家の子供に生まれたかったとか、もしかして自分は本当の子供じゃないのかも?とか、よく思っていました。

辛かったな、この頃は。

でも、この頃の辛い経験がこの先の人生において支えになるメンタルの土台となっている。

そう考えればありがたい。

小学生二〜三年生くらいになると交友関係や視野が広がってくるから、自分んちが普通だったのが、比較対象が出来てきてそうじゃないのかも?という疑問を持つようになってくる年頃だと思う。

今日はここまで。

ここまで読んでいただきありがとうございました。